第1回文芸講演会は盛会のうちに終わりました

講演会の様子は以下の通りです。
  日時  2019年5月11日(土)開演2時~4時
  場所  横浜・波止場会館4階大会議室 
  講師  辻原 登さん(芥川賞作家・神奈川近代文學館長)
  演題  歴史と冒険のシンクロニシティー 
      -小説「翔べ麒麟」と「天の原」歌をめぐって
  入場者 86人
  開会の挨拶=宮原昭夫代表世話人、司会と講師紹介=櫻井誠子会員

辻原氏はまず、阿倍仲麻呂らとともに717年に唐に渡った井真成の墓誌が見つかったという新聞記事を示し、「彼等遣唐使こそが今日に続く日本の文字文化の礎を築いたのです」と強調した。
続いて今回のテーマである仲麻呂の和歌「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」を取り上げる。この歌は、玄宗皇帝に気に入られ長く帰国を許されなかった仲麻呂の悲歌(エレジー)として知られるが、36年ぶりに帰国を許され、明州で送別の宴が開かれた時に詠んだとも言われる。だが辻原氏は「それならこの歌は帰国を前にした希望の歌と言うことになる。また遣唐副使大伴古麻呂は無事帰国できたのだから、一族であり万葉集の編纂者である大伴家持にこの歌を伝えたはずなのに、この歌が載るのは後の古今和歌集である」と疑問を投げかける。実際、小説「翔べ麒麟」では、この歌は渡航に失敗し今日のベトナムに流れ着いた仲麻呂が、帰国を断念して歌ったとされている。
「ところが小説の連載が終わった数年後、私は井真成の死を知ったのです。そうなると歌の意味が違ってくる。この歌は、ともに唐にわたり、若くして客死した友を偲ぶレクイエム(鎮魂の歌)だったに違いない、と。歌はわれわれに歴史の深さを考えさせてくれます」
最後に辻原氏は「なぜ古代の偉い人達は苦労して、漢語を利用して日本語の文章を発明したのか。それは歌を書き残すためだったのです」と結んだ。
また辻原氏は質疑応答の中で、最後の楊貴妃が楊国忠の首を抱いて死んでいる場面は創作かと聞かれ、「あれは私が作ったものです。スタンダールの『赤と黒』の最後、マチルドが斬首されたジュリアン・ソレルの首を抱くシーンからヒントを得ました」と明かした。

※ 講演の詳細は9月発売予定の『ヨコハマ文芸』第2号に載録する予定です。

 


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