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句作りは最初から上手く作れなくて当たり前【第7回】 |
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句作りは最初から上手く作れなくて当たり前 俳句に誘うと「私はとてもこんなに上手く作れない」と達人の句を読んで尻込みをする人のなんと多いことか。 最初から上手く作れなくて当然であるのに。 長年句作りに励み今日に至っている者の大半は、初期の頃の句を目にすると 「こんな情けない句を作っていたのか!」と我が句に驚愕したりするものだ。 誘われて怖じけ付く理由は幾つかある。 ○俳句は省略の文学であり、余計なことを言わず17文字に納めなければならない。 ○数多ある季語を覚え、その使い方をこなさなければならない。 ○1句の中に切れ字を入れなければならない。 等々小難しい決まりが多々ある。 「こんな制約が無ければ」と思う人が居るかもしれないが、こう言った約束事に挑戦するからこそ面白いのである。 句会や教室でその都度学んで行けばよいのであって、それらを一遍に覚えられないのは当然である。 長年句作りをして来た者は、口を揃えて「初心者の頃は箸にも棒にも引っ掛からず選漏ればかりだったが、何故か句会は楽しかった」と言う。 俳句は作れば作る程上手くなる。沢山作ってどんどん捨てればいいのだと経験者の多くは語っている。 どうぞ尻込みしないで、試みに作ってみたら如何なものか。きっと病みつきになること間違い無しと約束する。 (荒井理沙) |
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リズム感について【第8回】 俳句は上五中七下五で十七音です。しかしそれぞれ切れてしまうと標語のように印象だけが残り、鑑賞というわけにはいきません。 三段切れの素晴らしい俳句はありますが、今回は触れません。 深谷雄大「添削 俳句入門」の一部を引用しますと、 同じ韻文のリズムでも、短歌の「しらべ」に対し、俳句のそれは「ひびき」を主流とし、竹のようにしなるバネを特徴とします。 (略)韻文の伝達の決め手は、読んだ後に、いつまでも残る快いリズムにあるのです。そこから、読み手のイマジネーションがひろがります。 月のハマブン句会の例を上げてみます。 折山氏選の特選句 昼酒の五勺の酔ひや走り蕎麦 下五の季語の前で切れています。酒のあての走り蕎麦が如何に美味しいか想像が膨らみます。 星選 秀逸句 新蕎麦の香味噛み締むぼつち飯 新蕎麦の、で軽く切れ中七下五に続きます。選句のコメントと重なりますが、新蕎麦の香りと香味の鼻にツンとくる感覚。新蕎麦の美味しさがいくらでも想像できます。 句が出来たら声に出して読んでみること、と習いました。私が大切にしている教えです。 (星伸予) |
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そこまで言わなくても【第9回】 <俳句はたった十七音しかありません。 エッセイや小説のように、主語・目的語・修飾語・述語ときちんと語句を構成せずとも、 例えば、名詞一つから動作を連想させる、あるいは動詞一つから情景を描き出すことが、俳句の俳句らしさ、極意です。 「そこまで言う必要はない」「言うことがダブっている」とならないようにしたいものです。俳句は文章ではありません。 俳句は詩です。今回の句のなかにもそのようなケースが散見されました。 ひとつ例を挙げましょう。 「大過なしほつと安堵の年の暮」なかなかできている句ではありませんか。 上五で軽い切れを入れ、用言を使わずに情景をきちんと表現しています。 語句の構成に文句をつけるところはありません。でも気になる点があります。 大過がなければほっとします。そして安堵します。ごく当たり前のことです。 誰でも容易に想像します。ということは、どれか一つの言葉が他の言葉の示す情況を彷彿とさせます。もったいない。 「ほっと」も「安堵」も同じ心情を言っています。さらに「大過なし」だけで「ほっと」も「安堵」も感じられます。 別の材料を入れようではありませんか。平凡な例ですが、「大過なし酒なほ旨き年の暮」 俳句はたった十七音しかありません。> (折山正武) |
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